忍者ブログ
[80]  [79]  [78]  [77]  [76]  [75]  [74]  [73]  [72]  [70]  [69
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。






私も...


今でさえ 親を尊敬し

できる限りの親孝行ができればと





最低でも毎年

正月だけは必ず帰省するようにしているが




幼少から~多感な時期にかけては


それはそれは

未熟な私なりに辛かった記憶 本当に苦しかった記憶しかない。





私はとにかく

母親が世の中で一番「大嫌い」であった。




私は幼少から 一切

母親に褒められた記憶が全くない。




何気に 先日...

父親の古希祝で実家に帰省した際に そういう話をしてみたのだが




母いわく...


「とにかくアンタには 褒めて育てるのではなく
 
 叩き上げるごとく厳しく厳しく接して そのように育てようとした」 


と言われた。





当たっていた。





子供の記憶...

環境における人間形成というのは凄いんだなと思ったよ。




そして続け様に母は...

「 アンタにそういう育て方をして 失敗して勉強になったので
 
   弟は とにかく褒めて褒めて育てようとした 」...と。




私は 姉、本人、弟 の3人兄弟であるが

確かに 弟が母親に叱られている所を見た記憶がなく

褒められている情景しか思い出せない。





私の時とは全く逆。



別人の母親がそこに居た事を明確に覚えている。



私は幼少の頃から

母親に何百発、殴られたか数え切れない....w..。




弟は大学を出て

一流外資系企業に勤務する

ナイスガイで頭の良い 私の大好きな自慢の弟だ。




う~ん 親のせい...?

親の責任にする気はサラサラ無いのだが..w



私が幼少から「悪さ」を繰り返し

高校を卒業するまで 

何度も何度も親を泣かすような事をしてきた理由は何だったのか?




家に居ても

そこに存在意義や自分の居場所や存在義務も感じずに


家族の皆が一緒に食事しているのに

私だけが一人 部屋で孤独にメシを食い続けた理由は何だったのか?




話すとキリがないので 詳しくは語らないが...


とにかく あの...苦闘、苦痛、孤独感、刹那さ、怒り...

ノイローゼになりうる根源は何だったのか?




なぜ私は家を飛び出したのか?




なぜそんな私を 誰も探そうとはしなかったのか?




う~ん...

やっぱりそんなのはわからないな 今も。




ただ...

私は母親の愛情を感じて育っていないのは確かである。




「何が愛情で 何がそうではないのか」

という定義は置いておいたとして



私はとにかく母親に褒められた事、認められた事

撫でられた事、抱きしめられた事が全くありません。




とにかく叱られ、手が飛んできた

とにかく私が何をやっても非難され

母の笑い顔を見た記憶もない。





そんな記憶とイメージしか本当に無いのだ。





小学、中学、高校と


私の友人など、周りの人間が

母親や父親と「正に 友達のように自然に笑顔で話している」そのサマに



「それって普通なん?」と

驚嘆とカルチャーショックを持ち真剣に質問したものだ。




もちろん

今は母親は大好きだし仲良くやっているよ...w





ああ..そういえば余談だが




私が家出してから しばらくして

「生きていく大変さ」を身にしみて感じた時があって



その時に初めて 本当に

「親への感謝と尊敬の念」を抱いたのを覚えているな。




何が言いたいのか私も良くわからないのだが

やっぱり「親の愛情」って

子供は敏感に感じ取って成長して行くと思うので




叱って厳しく

時には殴り飛ばしてスパルタで育てるのも良いけれど



褒めるべき時には思い切り褒めて

必要とあらば抱きしめてあげて

そういうスキンシップは絶対に必要だと思う。




生涯独身?...の私が

子供の話をするのも変だし


「親になってから語れ、ボケ!お前に何がわかる?」と

世の中の父親、母親の皆様にはまたまた叱られそうだが...w...。






私...スタア★アクション★百田は

「母親のスパルタの証」であり




その育て方、教育方針、思想、価値観に

180度そむいて来た私の「鏡の中の像」であり





いわば 母親が作り出した「反抗の作品」である。




母の 拘束的スパルタ教育に

「アホか!俺は自由!人間は自由じゃ!

     オレは親の人形やないんじゃ!ボケ!」と



全ての「母の理想」を

見事に裏切り続けて来た私が行き着いた場所が

................「ロックンロール」だ。





あれは俺が18歳か19歳の頃かな...母は私に言ったよ...



「ロックなんか 
 
 世の中から掃き捨てられたアホがやるもんや」

...とね...w..。





私はものの見事に

母親が大嫌いな その「アホ」になってやったよ.。





ね...楽しい母でしょ?...w




これはでも もう昔の笑い話であり...

言うまでも無く 今は母親に感謝し

「世の中で最も愛する人」です。




昨日も実家に

好物の「文明堂のカステラ」を送ってあげたよ。




母親が私に与えてくれた「多大なる孤独感」「反骨精神」etc ...




彼女が居なかったら

私はロックンローラーとして歌っていなかったのはまぎれもない。




仮に 何かのきっかけで歌を唄っていても

そんなものは「ロックでも何でもない歌」だったと思う。





お母ちゃんに...大感謝。


でも俺...今だから思うけど

幼少から きっと「寂しかった」んだと思うよ。




ガキなりに母親に褒められたかったし 笑った顔が見たかっし。




だから世の中のお父さん お母さん...

子供を「抱きしめて」あげて下さい。




余計なお世話かな...w...SEXY☆




















PR
忍者ブログ [PR]