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ある書を読んで…




嫌いな人間…

憎む人間…

ムシズが走る人間…




己の脳内の隅々をかっぽじって

そういう方々を必死に探した。   





残念ながら

幾ら探しても 全く誰一人と見つからない。





どこを探しても 出てこないのだ。




あやふやな精神支柱で、わけわからず過ごした10代

負けてたまるか、と 反骨精神だけで過ごした20代

人生の半分がやっとわかりかけたのかと、錯覚した30代

未知なる不惑への実感すらもなく、自然に飛び込んだ40代…






今の私は、やはり



過去の煮えたぎる程の「血の気の多い人間」よりも

違うエッセンスの「冷酷さ」の比重を占めつつあるのかと

.......そのように感じる。





ただ、そこに嘘だけは無い。




今、全ての方々に幸せでいて欲しい

平和な世界で気持ちよく過ごして欲しいと

そう感じるのは全くの真実であり、そこに嘘は全くない。  







私はたいした人間でも何でもない凡人だが

「私を認める人間」も「私を否定する人間」も

それは本当にたくさん居たし、今も当然それぞれが居る。






ただ…

そんな定義なんてものは

秋の空ほどに気まぐれ子猫であり





100パーセントの好意を抱かれていた翌朝には

100パーセントの悪意で刃を向かれる、なんて…茶飯事なワケで


そこに何を思う事があるのか、と…。






それを逆に考えれば

私の思想は簡単明瞭ではないかと思うのだが…。






つまり…


74億の世界の人口分の「思想」があり

74億の世界の人口分の「自分自身の定義と価値観」があり

そこに協調性を求める方がおかしいわけで





仮に

他人と一瞬、一時でも気が合い楽しく過ごせる瞬間があれば

それは宝クジの大当たりより何百倍もの確率なのであり

何とも貴重で喜ばしい事ではないかと。






男と女…男と男…女と女…

だからそれが一過性であれど

同じ瞬間を一度でも楽しく過ごせたなら

それは脅威であり「驚異なサプライズ」だと

私は思うのだ。





私は全ての過去と

全ての現在に感謝したい。





そして私の未来の人生に

「崩壊や壊滅」「憎悪や戦争」が起ころうと

それを素直に受け止めて、納得して過ごしたい。





他人を否定する気や

他人を嫌う気や

他人を憎む気は

残念ながら、私には全く皆目だ…ありえない。






簡単に言えば…


「人は自分が思うほど 自分なんかに興味はない」

「人は自分が思うほど 自分なんかを見ていない」


という論理は正解すぎるという観点で




私はずっと人生を歩んで来ている。







支離滅裂で誠にしっけいです…SEXY☆



























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