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腐食した空気の場所に居ると 

魂が限りなく腐り始め





呼吸する事すら億劫になり

脳細胞も神経も体細胞も

著しく大きな悲鳴をあげ始める。





見ざる 言わざる 聞かざる。





いつも言っている事ではあるが

とにかく静かな静かなモノトーンの世界に行きたい。




生態系同士が触れ合う必要性の根拠とは

一体何なのであろうか?




意思の伝達や疎通

感情の提示や受諾



神経を擦り合わせる事による

「美しき情景」など

本当に存在するのか?




見えてるふり 感じてるふり

全ては宇宙規模のエナジーに操られており



私なんぞは顕微鏡でやっと見える位の

「菌」なのであるからして



何をチマチマとつまらない

精神の起伏を繰り返す意味があるのか。






神々に与えられた台本通りに生きて

生涯を閉じては棺桶に入り

焼却炉で焼かれてクランクアップ。




それに気が付くかどうかは

「人の勝手~自由」であります。





私は台本が嫌いであり

心中本音がそこにない限りは

「はい」などとは死んでも申さぬが



そんな潜在的な性質すらさえも

きっと台本に組み込まれているのあろう。





何とも馬鹿バカしい時間を

心から嘲笑している空間を過ごしていても

私はそこに意義を見出す。





「怒」なんて疲れるわけで 

精神を錯乱させるわけで

何も清々しいものではないのだが





私は今まで

それを最大の餌とパワーにし

生きて来たのであるからして





現世に生き延びる私には

この「クソ社会」が最高の場所なのかもしれない。





幼児レベルの簡単な事だ

「バカ社会に 負けを認めてたまるか」 

って、そんな単純明快な幼い発想である。




要は…

一番の大馬鹿者は私自身なのかも知れない。



くだらない。



だから私は

静かな静かな場所にちょっとだけ行きたいのである。



だが、そこに永住する気はない。




「怒」を得られない世界では

私の魂が完全に風化されてしまい



二酸化炭素と共に

風に飛ばされて居なくなってしまうから。





だから私はここに居るのだ。




殴りたい物体に 究極の笑顔を

殺めたい物体に 最高の礼儀とモラルを軽々とお見せしながらも



ビヨンビヨンと脳の裏側を

孫の手かきながら空間を過ごしているのだ。





危険なのは私ではない。





危険のはさて何だ?さて誰だ?





そんなもの

別に何も危険でもなければ

おかしくもないのである。




右によたってしまい

真っ直ぐに歩けない位が丁度良い。



いずれにしても

私が「するべき事」は一つだけだ。





物心がついた若かりし頃から一貫して変わらずに

「それが見えている」

と言う事だけは、幸せな事なのかもしれない...SEXY☆







































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