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良い香りがする空間は心地よい。
静かな空間は心地よい。
うごめかない空間は心地よい。
私も心地よい空間が大好きで
そこに居たいしそこが大好きだのだが
そこに居たら
公園の芝生の一箇所になるし
岩にはえるコケの一部分になるのである。
あくまでも
私の脳内環境における理論ではあるのだが
....まぁ そういう事である。
居てはいけないと思うなら脱出すべし
あるいはその前に加担すべきではなし...いずれかだ。
小さな成功 大きな成功...
小さな到達 大きな到達...
そんなものはすぐぶっ壊せばいいと思う。
私は一貫して「無宗教」であるが
宗教家の気持ちや
それを信仰される方々の気持ちは良くわかる。
それが「自分」であるか
「外部」であるかの違いだけだと私は思う。
寿命が70年ならば
その70年をいかに後悔なく生きるかだ。
他人の顔色伺う前に...
世間の名声や目を伺う前に...
てめえが納得できて後悔せずに
笑って死ねればそれが最高だ。
なぜなら...
世間など「あくなき薄情な存在」であるがゆえに
まぁ そういう事だ。
私を応援してくれる方々
本当にありがとう。
「E気持ち」...
これは私が中学生の修学旅行にて
カラオケで披露した曲です...w...SEXY☆
「E気持ち」 沖田浩之 1981年
作詞:阿木燿子 作曲:筒美京平
今回、ご一緒にLIVEさせて頂いた
蓑輪単志 氏(Key) ex. HOUND DOG 。
「ミリオンヒット」「100万枚越え」と一言で言っても
音楽業界に居ないとピンと来ない方は多いかと思う。
だが...
それはとてつもない驚異的な数字であり
物凄い事であり
「ありえない」ぐらいの奇跡的な栄光なのであり
メジャーのレコード会社は
(今のご時世はメジャーもインディーズも変わらないが)
そこを狙ってアーティストに曲を作らせたりと
それはそれは切磋琢磨なわけである。
全世界のミュージシャンが共通に実感されている事かと思うが
曲を1曲仕上げる、書く、という事が
作業的にも精神的にも時間的にもどれくらいに大変な事なのか。
現実的な話をするのもどうかとは思うが
「音楽で生計を立てる」という事が
いかに大変でどれだけ難しい事か。
蓑輪単志 氏は「HOUND DOG」にて
「フォルテッシモ」 「BRIDGE〜あの橋をわたるとき〜」
と言うミリオンヒットを世の中に送り出された。
何と2曲も..............。
それはただただ凄い事である...SEXY☆
お客様のおかげにより
ギュウギュウの超満員の入りとなり
立ち見でろくに酒も飲めなかった方も多かったようで
セッションというのは独特の緊張感と世界観があり
見知らぬ世界や新たな発見
そしてミュージシャンとしての自分のスキルや
ロックンローラーとして背負う十字架を磨くには最高の場である。
若かりしして最高の才能と腕を持つ方
音が出てるその場には、もはや年齢などは関係ない純粋な空間があり
誰もが「良い音を作ろう」「格好良くしよう」「楽しもう」という
それ以外の何物でもないわけで...。
何とも楽しくもあり
ある意味、斬新な空間である。
だからこそミュージシャンは音楽を辞められないのだろうな...と
実感するような場でもある。
メンバー...
上杉雄一 氏(Sax)
立山秋航 氏(Dr)
吉本匡孝 氏(Gt) AKIMA&NEOS
鮫島秀樹 氏(Ba) ex. HOUND DOG
阿部剛 氏(Sax)
丸木英治 氏(Tp)
蓑輪単志 氏(Key) ex. HOUND DOG
今回 私が歌わせて頂いた曲は
1. Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band / The Beatles
2. My Sharona / The Knack
3. Crosstown Traffic / "Jimi" Hendrix
4. Englishman In New York / Sting
5. Hush / Kula Shaker
6. Hey Jude / The Beatles
7. Bridge Over Trouble Water / Simon and Garfunkel
(原田千栄さんとのデュエット)
このイベント共々...
私、スタア★アクション★百田を
存分に楽しんで頂けたなら私は幸せだ。
そして
参加されたミュージシャンの方々と
お越し頂いたお客様に心から感謝したい...
ありがとうございました...SEXY☆
※②に続く...
あまりにも有名な このアルバム...
「SEX PISTOLS」の
「NEVER MIND THE BOLLOCKS ~勝手にしやがれ~」。
私のバイブルと言っても過言ではない。
腐った時には必ずこいつに限る。
聴き終わると
「はぁ~ん…関係あるかボケ!
ははは...(笑)」と
精神状態は見事にハイのハイのハイである。
「Anarchy in the uk 」 Sex Pistols 1977年
最初のイントロが切れてるのが余りにも惜しい...w
だが最高だ...SEXY☆
2/11「横浜ヘイジョー」にて
セッションライブ「Funky Groovin Night Vol.5」があり
そのリハ終了後...
「吉本 匡孝」 氏(Gt)
「立山 秋航」 氏(Dr)
「阿部 剛」氏(Sax)
「原田 千栄」さん(Vo)
と飲み屋へ...。
「阿部 剛」 氏(Sax)は
「矢沢永吉」氏、「サザンオールスターズ」、「尾崎豊 」氏
「ハウンドドッグ」「米米クラブ」「チャゲ&飛鳥」をはじめ
様々な大きな現場で活躍される大御所の方なのであるが
とてもとても気さくな方でエネルギッシュでテンションも高い。
音楽についてはもちろんの事だが
人として何とも素敵で魅力的な方である。
人間としてのあり方や人との接し方など
「見習わないと」という気持ちにさせられたよ。
前回よりいっそうパワーアップしたライブをお届けできそうだ...SEXY☆
※FANの方から頂いたアナログシングル盤。
オフの日で、これという用が無い時に
一人で必ずフラリと出かける居酒屋がある。
昼間の14時からやっているのだが
私はスポーツ新聞を片手に14時にその店に入り
ビールと肴を楽しむ。
店はいつも
定年退職された常連の方で常に満員だ。
その店に流れるミュージックはいつも
私の大好きな昭和歌謡。
先日かかった曲は...
①失恋魔術師 太田裕美
②いとしのエリー サザンオールスターズ
③ボタンを外せ 西城秀樹
④安奈 甲斐バンド
⑤ウエディングベル シュガー
⑥シャイニン・オン ルック
⑦悲しみにさよなら 安全地帯
⑧星屑のステージ チェッカーズ
⑨ボヘミアン 葛城ユキ
⑩シルエットロマンス 大橋純子
どうして
こんなにまでも素晴らしい楽曲が続くのであろうか。
瓶ビール大瓶3本に
赤身のマグロとイカの一夜干し。
私は1時間半程で店を出たが
この一時が私の大好きな大切な時間である。
私の中で「昭和歌謡」というのは
やはりとてつもなく大きな存在であり大好きであり
越路吹雪さんの「愛の賛歌」は
私の中でフェイバレットかな...SEXY☆
1/ 7に…
ギタリストの「吉本まさたか」氏と新年会。
一軒目はフグを堪能し
二軒目は煮込みが自慢の店に入る。
吉本氏とはしょっちゅう酒を酌み交わすのだが
話が深くてバラエティーに富んでおり
いつもとても楽しい時間を過ごさせて頂いている。
しかし...
相当、この煮込みがお気に入りのようで...SEXY☆
※亡き後輩のお母さまと
2008年も明けたのだが...
私が物凄く霊感が強い事は
今更申す事ではなかったりもするのだが...
なぜか今年は
獲り付かれたかのように墓参りに明け暮れた。
■1/2:12時
京都の祖母の墓へ、私一人で参る。
■1/2:15時
奈良の祖父の墓へ、私の実弟夫婦と参る。
形見のライターを墓前に置き
お礼とご挨拶をし
毎年のごとく、祖父の大好きな「酒」を墓石にぶっかけて
お参りを済ませてまいりました。
■1/3:12時
私の高校の後輩の女性の墓へ。
元「THE REBELS」のベーシスト、甲斐郁男 氏と参る。
彼女の墓が奈良の法隆寺にあるとわかったのは
去年の暮れの12月の末だった。
彼女は29才の時、癌でこの世を去った。
私には彼女の病気の事など全く知らされてはおらず...
我がバンド「Adam」のメジャーデビューツアーにあたる
大阪バナナホールでのライブ後に、初めてその悲報を知らされた。
私が30才の時だった。
私が初めてバンドを組み、演奏したのが高校3年の文化祭...
彼女はその時、同校の1年生であり...
それ以来、それはそれは熱狂的に私を応援してくれた。
その頃に頂いたブローチを
私は今も形見に、大切にお守りにしている。
しかし亡くなられて今の今まで、10年以上
私は墓前参りさえも行けていなかったのである。
私は2007年(昨年)に
なぜか物凄い胸騒ぎを感じ…
もう5.6年はまともに聞いていなかったはずの
「THE MODS」のCDやDVDを大量に買いあさり聴きまくった。
亡くなった彼女も、私の影響からか「THE MODS」が大好きだった。
その矢先に
「THE MODS」を25年間支えて来たドラムの「梶浦雅弘 氏」が脱退...
それはMODSファンには信じがたい衝撃的な大事件であり
彼女は私に
それを伝え...教えたかったのかと...................。
そして、前述の私のブログの通り...
年末のセッションライブにて
声が全く出ずにどうしようもなく苦しんでいた私が
「今回、あなたの為だけに
〝Bridge Over Trouble Water ~Simon & Garfunkel〟を歌うので
どうか私に奇跡を下さい。最後まで喉をもたせて下さい。声を下さい。」
............と、お願いしたら
私をものの見事に守って頂き、もう感謝と感動でした。
しかし、彼女の実家の連絡先も解らず…。
その頃の友人などから墓地の場所などの情報をできる限りでかき集めて
何とかなるだろうと彼女の墓へ向かったのは良いものの
何百、何千とある共同墓地から彼女の墓を特定するのは
私が得た情報だけではとてもとても無理な状況に追い込まれた。
仕方なく
私と甲斐氏は、ひとつひとつの墓の名前を見て歩いて探した。
とてもじゃなく無数にある墓だ...
いつまで立っても見つけられない...まぁ あたりまえだ...。
30分は探しただろうか...
途方に暮れかけたが私は
おもむろに皮ジャンのポケットに持参して来た
「形見のお守りのブローチ」を握り
「〇〇ちゃん、俺、来てるよ!何処にいるのか教えてよ!
ここまで来て会えずには帰れないよ...何処にいる?
何か合図して俺を呼んでくれよ....... 」
と真剣に呟いたその矢先...
「どなたかのお墓をお探しですか?」
と甲斐氏に訪ねる、白髪の年老いた女性の声が聞こえた。
甲斐氏が
「探してるのは〇〇さんのお墓なんですけど」
と答えた所...
その女性は
「あ...私は〇〇の母親でございます」と。
そんな事って...本当に起こる?
私はもう何が何だか信じられず
全身に鳥肌が立ち、感動と衝撃を押し殺すのに大変な中
お母様の方に走って駆け寄って行った。
お母様は私の事をご存知であったらしく
私の顔を見るやいなや
「まぁ...もしかして百田さんですか!
わざわざ来て頂いたんですか、ありがとうございます」
と深々と頭を下げられた。
私も
「今まで来れずに申し訳ありませんでした」
と、お母様にご挨拶をさせて頂いた。
あのね............
こんな事って本当にあるんだなって。
偶然と言えばそこまでだろうが
私はそうは思わないし思えないよ。
彼女が
「私はここやで!百田さん」
って、導いてくれたとしか思えないよ。
それしかないだろ?他に何があると思う?
お参りを済ませ
お母様と墓前で30分くらいお話をさせて頂きました。
最後にお母様が
「今日は本当にこの娘も喜んでると思います。
この娘の為にも、これからも頑張って歌って下さい」と
何ともありがたいお言葉を頂き、私は帰路に着いた。
新年早々...
私のミカタである方が
あの世で本当に私を見守ってくれているのだと確信する事ができた。
この物凄い感動を、文章では上手く伝えられないのだが...
私は本当に「霊と魂を信じる」と改めて心に誓ったと共に
本当に「感謝の気持ち」を感じさせて頂いたのです。
そして...
現世でも、死後の世界にでも
スタア★アクション★百田を応援してくれる方が一人でも居る限り
「何があっても
スタア★アクション★百田は
死んではいけない」と
そう思わされたのです。
■1/4:13時
京都のとある墓へ、私一人で参る。
「人間死んだら灰になるだけ」と思うもよし
「いや、何かある」と思うもよし
それは個人の自由であるが
先祖供養やお世話になった方への墓前へのご挨拶はするべきだと
私は心から自然にそう思ってしまうのです。
それは私自身の為でもあるのです。
あらゆる予感や直感を授けていただき
どん底の時、本当に助けていただけますよ...SEXY☆
2008年...明けたね。
皆様、おめでとうございます。
私、スタア★アクション★百田は
今までの価値観を、ある種 大きく変革させて
人のありがたみと
人の出会い大切にし
感謝の気持ちを念頭において
今年一年を過ごしてみたい。
何が私をそう思わせたのか、はっきりとはわからない。
ただ...
音楽とは純粋であり...
ROCKとは純粋であり...
そのミュージシャンの現場は正に純粋であり...
年齢も国籍も全く関係ないという事実。
音楽は本当に
「世代も国籍も越える」
という事実を
改めて体感したからかもしれない。
この歳だからこそ
心にズシンと再確認できたのかもしれない。
私はそこに居れる幸せをかみしめながら
ロックンローラーとして
人生をまっとうしなければならない。
百田の「スタア★ロック」を
こうご期待下さいませ。
今年も俺をよろしくです...SEXY☆
※ベーシストの 「鮫島秀樹」氏と (ex.ツイスト ハウンドドッグ)
12/21 「横浜ヘイジョー」でのセッションライブ…
無事に楽しく終えることができた。
私にとって 2年半ぶりのステージであった。
出演のお話を頂いてからの約1ヶ月
ブランクにより全く声も出ず、まともに歌えない私が
歌える状態にするべく調整する事に対し
肉低的にも精神的にも、本当に苦悩と格闘の日々だった。
こんなに苦しんだ事はかつて無かったかもしれない。
どれだけ発声しようが歌おうが
全盛の時の「歌」に戻らない苦悩...。
そんな事には関係なく時間はどんどん過ぎ
当然のごとく、周囲のライブへの準備はどんどんと進められて行く。
怖いもの知らずで
「俺は俺だ かかってこい」
と自信満々で走って来た私だが
納得できる歌が歌えない自分に対しての焦りからか
生まれて初めて
「ステージにあがりたくないし
絶対にあがれない」
という精神状態にまで追い詰められた。
17才から20年以上も歌って来た…
1000回近いステージもやって来たかも知れない...
「ライブ職人」と呼ばれた事もある。
なのに...なぜ?
そんな事を思うなんて信じられず
自分の中で何が起きているのかさえ理解できない位の状態だった。
ボーカリストとして
2年半のブランクは余りにも大きすぎたと気がついた。
あまりにもの己のふがいなさに耐え切れず
「とにかくステージをぶち壊すわけにはいかない」と思い
実は一度、今更ながらに
頭を下げて今回の出演をお断りしようと思った事があった。
それはミュージシャンとしても人間としても
絶対にあってはいけない事であり
社会的信頼も失う事にもなるのだが
メンバーの皆様に多大なご迷惑をかける事になり
私の人間関係をも破滅させてしまうという事を覚悟の上で...
出演をお断りしようと思った。
しかし...
歌手「スタア★アクション★百田」が、人間「百田和仁」に
「ここで逃げたらお前は終わる!
〝俺の人生は死ぬか歌うかだ〟って
お前は若い頃にそう誓ったよな!?」
と、思い切り顔面をぶん殴ったんだよ。
それに...
私の「歌」を楽しみにしてくれている人が居るという事実。
ここで逃げたら
私の今までの生き様や「歌」を完全否定する事になると冷静に考え
何とか自分の「喉」と「テンション」を完全リハビリする事を続けた。
たるんでいた体重も、3週間で6キロ落とした。
今、思えば
そんな時期でのキャンセルなんか言語道断で許されないんだがね。
そんな冷静な判断すらできない位に
本格的に参っていたんだと思うよ。
だが私の喉は耐久力さえも失っていた。
焦って何とか調整しようとする私に追い討ちをかけるかのように
本番2日前に「声帯炎」と診断され
声帯も喉の奥も真っ赤に腫れあがり
歌うどころか「誰とも話さないように」
と医師に言われた。
ボーカリストならしっかり自己管理しろ!素人じゃあるまいし!!!
正に自業自得...何とも何ともお恥ずかしい話である。
処方して頂いた
大量の薬と、最後の応急処置のステロイド剤を吸引し
もう最後はご先祖様への神頼み...
祖父の形見のライターと
来年10回忌を迎える後輩の形見のペンダントを
生まれて初めてライブステージに置いた。
.......こんな事したことなかったよ...今まで。
最悪、このライブで喉が潰れて
今後歌えなくなったとしても
それは己のせいであり...かまわない。
そんな事よりも
「己の責任をまっとうするのが
男というものだ」
という私の持論が
脳内を120パーセントしめていた。
だが「奇跡」はあるんだなと。
「納得できる歌」には程遠かったが
歌 が 歌として喉から出ていたよ...................。
ライブ中、歌いながら
「ありがとう」と何度も形見に触れていたんだよ。
「もし1曲目で完全に声が飛んでしまったら...」
そんな最悪の結果になってしまった場合の
私なりの「ケジメのつけ方 ケツの拭き方」を考えてもいた。
そこで何をしようが許される事ではないのだがね。
なので、私のステージの内容はどうであれ
何よりも...
私の「喉」のせいでそれほど大きな迷惑もかける事もなく
全てのライブが無事終了した事が何よりもホッとした。
重い話になってしまったが...これが真実だ。
とにかく...
私が今、一人間として思うこと...それは
今回共演させて頂いた
素晴らしいミュージシャンの方々に色んな意味で感謝。
私には無い、
新たな音楽観や価値観を感じる事ができ多くの発見があった。
それに何よりも皆さん、
純粋に本当に「音楽」を楽しんでおられる。
これは一見、当たり前のように聞こえがちだが
私の音楽活動における個人的価値観からすれば皆無であり
「物凄い事」なのである。
共演させて頂いた、ボーカリストの「原田千栄」さん。
私の喉を親身に心配して頂き
専門的な喉のケアの話や、本番前には「喉の特効薬」まで頂き
本当にありがとう...。
私の歌のリハビリに
スタジオで快く付き合ってくれた「Adam」のメンバー、
「Do!藤崎」「サービス玉川」「サーカス木下」に感謝。
貴重な時間をさいてくれてありがとうと言いたい...。
2年余りもの間、失踪していたにもかかわらず
私の歌を楽しみに待っていてくれて
寒い中、足を運んでくれた方々に心から感謝。
年末年始 風邪ひかないように気をつけて...。
そして
今回のセッションにお誘い頂いた
ギタリストの「吉本まさたか」氏...
私が「歌手生命の危機」を感じていた中
私の背中をポンと押して頂いた事に本当に感謝です。
今回のライブをなくして
色んな意味で私の「歌手」としての復活はありえなかった。
今だから言うけれど...大袈裟でも何でもなく
私の中で「自分の今後を決めよう」と思い
覚悟して挑んだライブであった。
参加できて 本当に良かった。
おかげさまで完全に生き返る事ができた。
たかがセッションライブなんだからと思われがちだが
私にとっては
「己の人生に大きな意味を持つ大切なライブの一つ」となった。
スタア★アクション★百田...
「感謝」あるのみです......................SEXY☆
パンチの効いた人間。
パンチの効いた男、でいるためには
どうすれば良いと思うか...。
知らん。
第一...
「パンチの効いた人間」とはどういう人間なのか?
そんなものわからない。
しかし私は
「インパクティー・ヒューマン」
という言葉を、少年期から多用してきた。
何かを意識していたのだろうし
何かを求めていたのだろうね。
良くも悪くも「インパクト」...これは大切な事だ。
何せだな...
「普通の人間」をだな...
時間や金をかけてまで観たいと思うかどうか...?
私なら思わないな。
でも実際そんな事の支柱がわからないんだよ。
そう...わからない。
私から見て
「なんてアブノーマルな物体なんだ!」
と感嘆する人はたくさん居るんだよ。
でもその定義なんかは
皆が勝手な価値観で決めるものだから
そんなものわからない。
「自分の、この世における存在価値」がわからなくなる時...
そんなもの何万回だよ。
逃げたら終わり...
結論は「闘う」しかないのであり
少しの酒をあおり...瞑想にふける。
そして明日を迎えるのだ。
他人に腹を立てる暇があるなら己に怒れ!
まぁ...そういう事やね...SEXY☆
それは
「男の生き方」として素敵だと俺は思うよ。
小学生、中学生、高校生と
格好ばかりつけてた私には
そんな事すら出来ない位にむしろ純粋だったんだと思う。
悔しくて世の中を恨んでいた位に
「ネズミ」な俺だったよ。
高校の校舎の屋上で
「ザ・スターリン」をウォークマン
(当時はMDすらないのでカセットテープ)
を聞きながら...
当時はセンセーショナルだった「タカラ 缶チューハイ」を
5.6本ほど飲むのが日課だった。
ビールより酔いが早く
コストが安いという理由だったのだと思う。
授業中に「酒臭い」と先生に言われたが
全く処分されなかったのが今も不可思議だ。
だがその後
食堂の裏でタバコを吸ってる現場に踏み込まれ...w
無期限 謹慎処分にはなったがね。
泳がされていた!?(笑)
「遠藤みちろう 」氏が率いた
「THE STALIN ザ・スターリン」。
「ザ・スターリン」のアルバム「STOP JAP」は
缶チューハイをどんどん進める最高のパンクロックアルバムだった。
今は今の私が居るが
高校の頃の私は もう...
世の中を掃き溜めだと感じ「パンクロック」だけを信じていた。
遠藤みちろう氏...
私が30才を過ぎ「Adam」としてライブをするにあたり
岡山と東京にて、二度ほど御一緒させて頂き
楽屋でご挨拶もさせて頂きましたが..
昔のようにバンドとしてではなく
アコースティックギター1本で弾き語られるその姿と歌は
私に「物凄い感傷」と「物凄い感覚」と与え
改めて「みちろう氏」の偉大さをかいまみた瞬間だった。
私の高校時代...
当時はまだCDも無い、アナログレコード時代であり
今の時代にように
「インディーズもメジャーも関係ない」
という時代でもなかった。
ザ・スターリン 遠藤みちろう氏は
とにかくアンダーグランドと称されたインディーズ業界を
先駆者として引っ張っていかれたような方である。
(その後、当然...メジャーでもリリースされたのだが)
高校時代...
まだ「通販」なんてシステムも物珍しい時代
「ザ・スターリン」のアナログLP、写真集、ブックカセット、など
通販で必死に購入していた私である。
現在も現役バリバリの「遠藤みちろう氏」
当然のごとく「すげえな」って思うよ...SEXY☆
私が17歳の頃
バンドを組んでの「初ステージ」にて...
アンコールの最後に歌ったのが
「SID VICIOUS シド・ビシャス」の「MY WAY」だった。
わからないが...
「人間というのは
涙の制御が効かないんだな」と
人生初めて体感した日だった…SEXY☆
「MY WAY」 SID VICIOUS 1978年
私が高校生の頃...
彼の愛用の「シド・チェーン」を首に巻き、鍵をかけ
毎日を過ごしていた。
そして「俺は23才までに死ぬだろう」
と周りにふれまわっていたものだ。
私の大好きな人物...
「SEX PISTOLS」の「シド・ビシャス」の名言である。
彼は本当に..
1979年2月2日夜、薬物の過剰摂取により死亡。
享年21才だった。
彼はまともにベースが弾けるわけではない。
ライヴになると一応ベースは掻き鳴らしてはいるが
多くの時間は客席に降りていって客とケンカしていたり...。
しかし、ベースを股下まで下げて持ち
裸の上半身を自らカミソリで傷つけて「FUCK」と刻み
鼻血を流しながらステージで暴れる姿...。
なぜなのか理由はわからないが、私には憧れであった。
...いや...現在もそうである。
私にとって..
シドよりカッコいい
ベーシストはどこにもいない...SEXY☆
日本が誇るロックバンド
「THE MODS」のベーシストの「北里晃一」氏が
2007/12/7に「50歳」を迎えられました。
私が15歳の頃からのヒーロー「THE MODS」。
何度、勇気を頂いたかわかりません。
誕生日おめでとうございます...SEXY☆
私は今年「前厄」だ。
今年...相次ぐ引越しで
住所変更の申請を忘れていた為
免許の更新のお知らせが届かず
更新を忘れて「免許取り消し」になった。
不幸中の幸いなのか
「仮免だけは残る期限中」に、気がついた。
完全に免許が取り消しになるまで
「期限が残り4ヶ月」だったので、大変だった。
もう一度
学科試験も実地試験も受けなくてはならない。
幾ら運転が上手くても
試験の教官が好む運転(交通規制に対応した運転)をしないと
100パーセント受からない。
要は
「交差点右折は、何メートル手前からウィンカーを出す」
「何秒後に車線変更し」
みたく
そんな細かい事が幾つもあるわけだ。
とても自力では無理なので
22年振りに教習所へ行きの路上教習。
「二度デマ」という行為を最も嫌う私には
かなり過酷な事だった。
受験生のように猛勉強して
「学科試験」も「実技の一発試験」も
無事に一発合格した。
そう言えば...
あまりの美味さに
去年の暮れから熱燗ばかりを飲み
「最初はビール」も頼りなくなり
座ればかけつけ一杯から...毎日「熱燗6合」を飲んだ。
体を壊した...。
おかげ様で8月以降、日本酒はやめた。
それに…
我が道でもありしギャンブル街道。
区切りの良い年齢で
何かを変えられないかと考えていた所
先祖の導きにより
あるタイミングできっぱり縁を切った。
もう死ぬまで博打はしない。
どうだろう...
こんなくだらない事でも人生なんだよ。
来年は正真正銘の「厄年」だ。
何でも「一味」をかけて食うのはやめようか...
毎日飲むのはやめようか...。
なんか
「アルコールも、別にもう要らないかな」
とも正直、思っているんだよ...SEXY☆
12 | 2025/01 | 02 |
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